2013年6月 のアーカイブ

内モンゴル自治区

2013年6月28日 金曜日

中華人民共和国成立50周年の国慶節、国を挙げて盛大に記念式典を行っている最中、僕は天津から寝台列車に乗り込み7時間かけて内モンゴルの草原の旅に出かけた。省都フフホトよりバスで1時間程郊外に行くと、そこには草原が広がり、馬にまたがり、草原を闊歩し、夜はパオに泊まり、飲めない白酒を無理に飲みながら、一面に広がった星々を見て、手のひらで掴めそうなぐらい近くに感じ、夜明けには太陽が昇るのを目に焼き付くぐらい間近で見られる。これが僕のモンゴルに対する印象だ。

 

先週久しぶりに内モンゴルに出張したが、当時の印象とはがらりと変わり、都市部は高層ビルが並び、北京や上海に比べると見劣りはするが、2級、3級都市と比べると特に変わりは無い、そんな感じに様変わりしていた。さすが、2000年?2009年まで経済成長率第一位で平均18.7%成長しているのを実感した。

 

前置き長くなったが、この内モンゴルというネーミング、「内」がつくのはどういう意味か興味があったので、調べてみると想像以上に複雑な中国情勢が絡み合っており、興味深いので、ここに記載する。(一部ウィキペディア引用)

 

元々その広大な土地から、3つの地域 オイラートモンゴル(現在のカザフスタン・中央アジア)、ハルハモンゴル(現在のモンゴル)、内モンゴルに分けらており、権力闘争等を昔から行っていたようだ。清の時代には清の領地に組み込まれたり等紆余屈折を経て、内モンゴルは満州国の一部となり、外モンゴルがモンゴル人民共和国として自治を認められる。その後、満州国崩壊に伴い、内モンゴルは中華民国の支配下に置かれ現在にいたっている。元々、モンゴル人やダフール族等の少数民族等が暮らすこの土地に漢民族による入植が行われ、今では漢民族が80%以上の構成を占めており、モンゴル人や少数民族は郊外に追いやられている。

 

経済成長率は中国で屈指であるが、その殆どが漢民族により牛耳られており、自治区内での多民族との経済格差も問題となっている。また、独立運動も新疆、チベットと同じく問題となっており、南モンゴル民主連盟の代表者ハダが政治犯として入獄させられ、刑期満了後に行方不明になっている等中国当局の弾圧が続いていたりしている。

 

さて、思ったままを走って書いた為、締めの言葉が思いつかず、困ってしまったが、出張を通して、内モンゴルの歴史、抱えている諸問題等がわかり、より内モンゴルを理解したが、今回に限らず行く先々の土地の歴史、文化を体験し、掘り下げていく作業は非常に楽しいと思うので、今後も続けていきたいと思う。

サンフランシスコのタクシー運転手から聞いた、アメリカの雇用状況について

2013年6月27日 木曜日

 

元GE チーフエンジニアのタクシー運転手

サンフランシスコ国際空港に降り立ってホテルまで向かう道中、私が乗ったタクシーの運転手は、現在のアメリカで如何に年齢層の高い人々が新たな仕事を見つけるのが大変なのかを語っていた。

彼はエチオピア出身で現在56歳。アメリカ国籍を持ち、弟は弁護士、妹はナースをしている。GE(General Electric)でチーフエンジニアを務め、10年以上に亘り、世界24か国を股にかけMRIの仕事に携わっていた。その後自ら会社を立ち上げたものの金融危機の影響で事業がうまくいかず、現在は求職中。

 

2,500通の履歴書を提出し面接は1つという雇用現状の実態

この半年だけでも約2,500通の履歴書をリクルーティングサイトを通じて提出をしているが、手にすることができた面接は1つだけ。日々報道されるニュースからこの現状を理解していたつもりであったが、やはり当事者から直に話を聞くと、その深刻さがより鮮明に感じられた。

彼との会話は現在のアメリカの政治や経済、また彼が得意としていたエネルギー分野にも及んだ。その観点や意見を聞いていると、失礼な言い方かもしれないが、彼がタクシー運転手をしていることに大きな違和感を覚えられずにはいられなかった。

学生時代を過ごした北米に今年2回目の出張だ。アメリカはフロリダ州、テキサス州、カナダではオンタリオ州の3か所で過ごし、日本でも父親の仕事の関係上転勤が多く、1つの学校で入学から卒業までを過ごしたことは1度もない。
動き回っているのが日常であった自分にとって、今のライフスタイルはその延長上にあるような気がし、やけにしっくりきている。

今回の出張は3日間と短い期間ではあるが、アポの合間の時間を利用し、古くからの友人が現在駐在をしているSan Joseにまで足を延ばしたいと思う。

自己紹介【一人目】吉岡伸太

2013年6月25日 火曜日

こんにちは。SDI プロフェッショナル インサイトと題したこの企画、「第一回はおまえや」とご指名を頂きました、最年少メンバーの吉岡伸太です。諸先輩方によるプロフェッショナルなインサイトの投稿に先駆けて、第一回は僕の自己紹介を(まことに僭越ながら)させて頂きます。
最年少とは言え、学生アルバイト時代を含めるともうすぐ勤続4年目に突入します。休み時間に大学のPC室でGoogle検索してたまたま見つけたこの会社に連絡し、「新卒は採らない」、「バイリンガル以上しか要らない」と何度か断られながらもしつこく通った大学5年生だったあの頃と比べると、少しは皆さんに可愛がって頂けるようになったかな、と思っています。
いま職場では、消費が盛り上がりを見せるもののまだまだ製造業(特に裾野産業)の技術水準が未成熟な中南米の国々で、日系メーカーの部品調達を現地化するため、夜な夜な地球の裏側と電話会議をしたりとか。日本製の産業財を東南アジアの地場系企業に売り込むための、現地流通構造可視化と代理店候補へのプレ営業をしに、成田から熱帯の都市へ主張に出かけたりとか。そんな事に取り組んでいます。
新興国への興味というか好奇心は果てる事を知らず、朝から晩まで職場で新興国の事を考えているにも関わらず、趣味は新興国への旅行です。学生時代からアルバイトで貯めたお金とバックパックと共に世界を歩き始め(1年次の必修科目である英語の単位を落とし続けたままでしたが)、訪れた国の数は50を超えました。仕事で毎日のように連絡を取る中国や東南アジアに限らず、中央アジア、中近東、アフリカ、欧州、中南米、北米など、経済大国から国連未承認のきな臭い自称独立国家まで、自分の目で見て歩いています。昨年の夏休みは、年に一度のハリラヤ(ラマダン明けのお祝い)の時だけ庶民に開放されるブルネイ王宮へ、ブルネイ国王と握手しに行ってきました。
休暇中もそうですが、仕事中は特に、日本が誇る洗練された製品やサービスが、激動の新興国で暮らす人々の生活と触れる瞬間に生まれるもの、失われるものに興味を持っていて、この職場はそれを一番近い場所で見つめられる特等席だと思っています。特等席から見えた風景を、この場で少しでも他の方に共有できたら、自分がここに投稿する価値もあるかな、と考えています。
さて、そろそろ「第一回から長い、くどい」という声が聞こえて来そうですので、次の方に順番を譲りたいと思います。ありがとうございました。吉岡伸太でした。