上田 哲

内モンゴル自治区

中華人民共和国成立50周年の国慶節、国を挙げて盛大に記念式典を行っている最中、僕は天津から寝台列車に乗り込み7時間かけて内モンゴルの草原の旅に出かけた。省都フフホトよりバスで1時間程郊外に行くと、そこには草原が広がり、馬にまたがり、草原を闊歩し、夜はパオに泊まり、飲めない白酒を無理に飲みながら、一面に広がった星々を見て、手のひらで掴めそうなぐらい近くに感じ、夜明けには太陽が昇るのを目に焼き付くぐらい間近で見られる。これが僕のモンゴルに対する印象だ。

 

先週久しぶりに内モンゴルに出張したが、当時の印象とはがらりと変わり、都市部は高層ビルが並び、北京や上海に比べると見劣りはするが、2級、3級都市と比べると特に変わりは無い、そんな感じに様変わりしていた。さすが、2000年?2009年まで経済成長率第一位で平均18.7%成長しているのを実感した。

 

前置き長くなったが、この内モンゴルというネーミング、「内」がつくのはどういう意味か興味があったので、調べてみると想像以上に複雑な中国情勢が絡み合っており、興味深いので、ここに記載する。(一部ウィキペディア引用)

 

元々その広大な土地から、3つの地域 オイラートモンゴル(現在のカザフスタン・中央アジア)、ハルハモンゴル(現在のモンゴル)、内モンゴルに分けらており、権力闘争等を昔から行っていたようだ。清の時代には清の領地に組み込まれたり等紆余屈折を経て、内モンゴルは満州国の一部となり、外モンゴルがモンゴル人民共和国として自治を認められる。その後、満州国崩壊に伴い、内モンゴルは中華民国の支配下に置かれ現在にいたっている。元々、モンゴル人やダフール族等の少数民族等が暮らすこの土地に漢民族による入植が行われ、今では漢民族が80%以上の構成を占めており、モンゴル人や少数民族は郊外に追いやられている。

 

経済成長率は中国で屈指であるが、その殆どが漢民族により牛耳られており、自治区内での多民族との経済格差も問題となっている。また、独立運動も新疆、チベットと同じく問題となっており、南モンゴル民主連盟の代表者ハダが政治犯として入獄させられ、刑期満了後に行方不明になっている等中国当局の弾圧が続いていたりしている。

 

さて、思ったままを走って書いた為、締めの言葉が思いつかず、困ってしまったが、出張を通して、内モンゴルの歴史、抱えている諸問題等がわかり、より内モンゴルを理解したが、今回に限らず行く先々の土地の歴史、文化を体験し、掘り下げていく作業は非常に楽しいと思うので、今後も続けていきたいと思う。

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